日本で初めての女性総理になるのでは?と注目されている高市早苗さん。
政治家といえば代々政治家…というイメージが強いですが、高市早苗のご両親は政治家だったのでしょうか?
また、兄弟姉妹がいるのかなども気になりますね。
高市早苗さんの家族構成について調べてみました。
高市早苗の親は政治家ではない!
高市早苗さんのご両親は、政治家ではありません。
高市早苗さんの父親は民間企業のサラリーマンで、母親は公務員でした。
- 父:高市大休(だいきゅう)
- 母:高市和子(かずこ)
- 長女:高市早苗
- 長男:高市知嗣(ともつぐ)
両親と弟の4人家族だったようです。
高市早苗の父は一流企業で母は警察官!
高市早苗さんのご両親は共働きで、それぞれの道で活躍されていたようです。
父親は一流メーカーに勤務
高市早苗さんの父・大休さんは、メーカー企業に務めていました。
一流企業だったため、高市早苗さんが政治活動を行う上での資金も援助されていたそうです。
衆議院解散までの約一年間、広い奈良県の各地を回り、毎日、街頭演説を行い、個別訪問やミニ集会を続け、懸命に政策を訴え、後援会拡大活動を続けてきたことから、ささやかな自信はあったものの、客観的な選挙分析では泡沫候補でございました。
「あと一期、我慢して待ちなさい」と後援会長からも引きとめられ、私は、公示日を目前に、苦悩し続けておりました。
そんなある夜、家族が寝静まった後に帰宅いたしますと、キッチンのテーブルの上に父からの手紙が置いてありました。「俺の退職金は、選挙費用の足しに全部使ってよい。イライラせずにやれ。自信を持って!握手とお辞儀を忘れるな。気楽にやれ。」父の手紙を抱き締めて泣きながら、出馬する決心を固めました。
私は、父はメーカー勤務、母は奈良県警勤務という平凡な共働き家庭に育ち、両親ともに、私が早く結婚して安定した家庭生活を送ることを望んでいました。
ところが、私が東京での仕事を辞めて奈良県に戻り、本格的な政治活動を始めた上、自民党本部の職員だった弟も、職を辞して、私の政治活動を手伝うために奈良県に戻ってきてしまいました。
いきなり無職となった子供二人が実家暮らしを始めたのですから、両親の苦悩は想像を絶するものだったはずです。それでも、常に堅実に生きることを私に求め続けていた父が、最も苦しい決断の瞬間にはそっと背中を押してくれたのです。
引用:衆議院
32歳で衆議院議員選挙に立候補するも、自民党の公認が得られず、厳しい戦いを強いられていた高市早苗さん。
父・大休さんは早苗さんに安定した幸せを望んでいたものの、夢に向かって苦悩する娘の姿を見て、「俺の退職金を自由に使っていい」と後押ししてくれたのですね。
そのおかげで、高市早苗さんは見事トップ当選を果たしました。
お父様の心強い後押しがあったからこそ、今の功績があるのですね。
娘のことをずっと応援してきた父・大休さんは、2013年、79歳でこの世を去られました。
母親は奈良県警に勤務
高市早苗さんの母・和子さんは、奈良県警に勤務していました。
どんな職務についていたのかはわかっていませんが、警察官になられるほどなので、責任感の強い方だったのではないでしょうか。
お母様の顔写真は、残念ながら見つかりませんでした。
2016年、高市早苗さんは「医療機関の電波環境の整備」に着手しましたが、これは母・和子さんの救急搬送時の体験からヒントを得たものです。
母親が心停止状態で救急搬送された際、病院のwi-fi環境の整備が行き届いていないことに気づいたのです。
その病院で、看護師の方から伺った話が、新たな施策構築のヒントになりました。
急な転院でしたから、母が入ることができた病室はナースステーションから遠く、心拍数や呼吸数の情報を送る「医用テレメータ」の電波がナースステーションまで届かないということでした。
その話を伺って驚き、夜が明けるまで病室の床に座って、心拍数が表示されている画面を睨み続けました。
総務省の仕事を休むわけにはいかないので、翌朝には上京しましたが、道中に色々と考えてみました。
母がお世話になった病院は、先進医療にも取り組んでいる総合病院ですから、「全国各地の他の病院でも、同様の電波環境に直面している可能性が高いのではないだろうか」と感じました。
総務省は、電波行政も所管しています。多くの方々の生命に関わることですから、「早急に対応するべきだ」と考えました。
引用:高市早苗HP
母親の危篤状態から学んだことを政策に活かすとは、政治家の鏡のようですね。
高市早苗さんも、お母様と同様に、責任感の強い方なのでしょう。
そんな心の支えとなった母・和子さんは、2018年4月、86歳で他界されました。
高市早苗には元秘書の弟もいる
高市早苗さんには、6歳年下の弟・知嗣さんもいます。
知嗣さんは、もともと自民党本部の職員として働いていました。
早苗さんが東京での仕事をやめ、実家のある奈良に戻って政治活動を始めると、知嗣さんも退職。
秘書として、早苗さんの活動を手伝ってくれたのです。
二人三脚で2003年の初選挙に臨みますが、高市早苗さんは落選。
知嗣さんも無職となってしまいますが、その後採用されたのが「山本拓事務所」でした。
2人が結婚したのは、高市氏が落選中だった2004年。高市氏の過去のブログによると、交際期間はほぼなし。山本氏からアプローチされた後、1週間で結婚を決めている。
落選して落ち込んでいた高市氏を山本氏が励まし、それまで高市氏の秘書を務めていた実弟を雇ったことがきっかけだった。
引用:日刊ゲンダイ
知嗣さんは2021年現在も、山本拓事務所で政務秘書官として働いているそうです。
高市早苗さんの政治家としての活躍は、家族のサポートなしには語れないですね。
快く応援してくれる家族がいたからこそ、高市早苗さんも厳しい政治の世界でがんばれるのでしょう。
今後も、高市早苗さんに注目したいと思います。